プレスリリース

368号(07年4月)
全地婦連初代事務局長の田中里子さんが亡くなられました
〜JICA理事長・緒方貞子氏などからのご寄稿
故 田中里子さん
 全地婦連初代事務局長(現・東京地婦連常任参与)の田中里子(たなか・さとこ)さんが、3月28日(水)午前2時7分、多臓器不全のため亡くなりました。81歳でした。心からご冥福をお祈りいたします。  通夜と告別式は近親者のみの密葬ですませ、遺言によりお香典やお供物などは一切辞退されました。  田中さんを偲んで、国際協力機構理事長の緒方貞子さんの特別メッセージをはじめ、生前特に親交の深かったお二人に寄稿をお願いしました。


田中里子さんを偲ぶ
     
独立行政法人 国際協力機構
     理事長 緒方 貞子

 全地婦連事務局長として長く活躍された田中里子さんは、消費者問題のみならず、広く税制、教育、医療等の分野における地婦連の活動をリードされました。私にとって関係が深かったのは地婦連の国際協力活動でした。
 1970年代の後半から1980年代にかけて、地婦連は日本の民間による国際活動の中心的な役割を果たされました。1978年5月、第1回国連軍縮特別総会において、田中さんは日本のNGO代表としてスピーチをされる大役を担われました。当時私は国連におりましたが、壇上の田中さんの迫力は今も思い出される強力なものでした。
緒方貞子さん
  この特別総会がご縁で、地婦連は国際的な事業に加わり、1979年の国際児童年には「1日分のおやつ代を送る運動」を全国規模で展開されました。街頭でのカンパ活動は一億数千万円に達しました。また、同年11月中旬に私は日本政府が派遣しましたカンボジア難民救済視察団団長としてタイへ赴きましたが、その折、カンボジア難民の受け入れに苦慮するタイ国首相に対し、地婦連からの寄付として1億円の小切手を手渡しました。「カンボジア難民やタイの被災民の子供たちに栄養になるものを食べさせてください」との地婦連のメッセージをお伝えできたのは、国際的な人道問題に対する日本女性の関心と行動力の証明として注目されました。その後、「カンボジア難民を救え」という声は、政府、民間と大きな広がりを見せましたが、戦後日本の特筆すべき展開であったと思います。
 1981年の国際障害者年には、地婦連の大友会長と田中里子事務局長はバングラデシュの失明者対策事業支援のための政府調査団に参加し、現地に出かけられました。私も同行し、東大医学部眼科の谷島助教授等とともに、子供たちの視力障害、栄養失調調査状況等の調査にあたりました。その後、地婦連では「バングラの子らに光を、ビタミンAを送ろう」キャンペーンを繰り広げるカンパ活動と、途上国の実情を日本の子どもに知らせる広報活動を続けられました。
 大友会長を守り立てながら着実な組織運営に当たられた田中事務局長の歩みは、国内外において民間活動の輝かしい足跡として語りつがれております。故人を偲ぶにあたり、田中里子さんの活動を今後に生かす決意を新たにしたいと思います。

小池スイさん(91歳)
 元(財)長崎県地域婦人団体  連絡協議会会長


 あなたの訃報に、声が出ませんでした。あなたからの年賀状が今年に限って元旦に届かず、添え書きもなかったので案じておりました。
 田中さんとは昭和35年からのおつきあいです。田中さんは、当時まだ珍しかった車を運転していました。私が東京に行った時など、そのかわいい車に乗せてもらって、できたばかりの西銀座デパートなどにも一緒に行きました。田中さんとの思い出は山ほどあります。
 中でも忘れもしないのは、ニューヨークでの第1回国連軍縮特別総会(1978年)で日本のNGOを代表して平和の大切さを訴えられたことです。あなたは最後に、※峠三吉の原爆の詩を朗読してしめくくられました。私はそれを国連の傍聴席で聴いて泣きました。
 田中さん、長い長いおつきあいをありがとうございました。

 人間をかえせ
    峠 三吉


ちちをかえせ
ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ
わたしにつながる にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわをかえせ

中村文子さん(94歳)
 沖縄戦記録フィルム1  フィート運動の会顧問、  元(社)沖縄県婦人連合会副会長


 私は、教員を定年退職すると同時に沖縄県婦人連合会に参加しました。田中さんとはそれ以来のおつきあいです。田中さんはいつもしっかり仕事をする方でした。
 沖婦連は、まだ沖縄県がアメリカの軍政下にある頃から全地婦連に加盟しました。田中さんは当時の大友よふ会長とご一緒に、いつも沖縄のことを心にかけてくださり、全地婦連の理事会を沖縄県で開催するなど、沖縄の抱える問題を全国の人たちに知ってもらうために様々な心くばりをしてくださいました。田中さんは、これからもどこかで、女たちの活動を見守ってくださるでしょう。

田中里子さんの略歴

1925年10月7日生まれ
1945年9月 実践女子専門学校(現実践女子大)卒業
1949年1月 東京都地域婦人団体連盟事務局に勤務
1952年7月 全国地域婦人団体連絡協議会創立と共に同事務局員を兼務
1963年7月 全国地域婦人団体連絡協議会事務局長就任
1986年3月 定年退職
主な公職
税制調査会委員、国民生活審議会委員、総合エネルギー調査会委員、公正取引委員会独占懇話会委員その他歴任
携わった主な仕事
1951年 電気料金値上げ反対運動
1954年 封建的家族制度復活反対運動
1955年 母と子の桜映画社設立
  〃   第1回原水爆禁止世界大会参加
1967年 沖縄県早期返還要求婦人・青年中央集会開催
1968年 ちふれ化粧品誕生
  〃   沖縄県早期返還を求める要請文と署名(380万筆)を、佐藤栄作首相に提出
1969年 北方領土問題連絡協議会に加盟
1970年 カラーテレビの二重価格に反対して、カラーテレビ買い控え運動展開
1971年 全国婦人会館開館
  〃   ちふれ化粧品一般市場進出
1973年 LPガス価格調査実施
1974年 独占禁止法強化、再販全廃街頭運動実施
1976年 「母たちの昭和史」出版
1977年 指定輸入牛肉販売店モニター事業開始
  〃   国立婦人教育会館開館
1978年 第1回国連軍縮特別総会でNGOを代表して演説
1979年 世界の飢えた子に1日分のおやつ代を送る運動
1981年 バングラデシュの子らに光を!ビタミンAを送る運動

「男女共同参画」のページへ
「消費者問題・経済生活」のページへ
「平和運動」のページへ