524号(20年4月)

3.11東日本大震災から9年 被災地の復興の取り組みと現状

どこまで復興?
岩手・宮城・福島3県からの報告

 日本人にとって忘れられない9年前に起こった「東日本大震災」。今年は新型コロナウイルス禍で、各地の追悼式典が中止となりました。この9年間で、どこまで復興したのか、岩手・宮城・福島3県の婦人会に報告をいただきました。

東日本大震災 大津波発生から9年
―これまでの取り組みと現在の状況
岩手県地域婦人団体協議会 会長 瀬川 愛子

「被災者生活支援制度の拡充」を求める署名提出 大槌婦人会へ県婦協支援
 
大船渡婦人会の炊き出し 宮古婦人会、支援物資配分

 あの日、平成23年3月11日、未だかつて経験したことのない巨大津波が三陸沿岸に押し寄せ、多くの命と人々のくらし、ふるさとを一瞬にして奪ってしまいました。電話、交通、電気、水道、燃料など、すべてのライフラインが破壊され、あらゆる機能がマヒしてしまったのでした。
 このような悲惨な状況の中で、炊き出し、被災者同士の支え合いなど、被災地の女性たちが力を発揮した取り組みは、まさに日々の活動の積み重ねで培われた強い絆によるものでした。
 内陸の会員による精力的な募金、支援活動も始まり、そして全地婦連や他県婦協関係団体の皆様から多大なご支援をいただき、被災地の日常生活が少しずつ取り戻されていったのでした。
 この間、県婦協では具体的な支援の方法を作成し、時間の経過とともに要望が変化していくのを踏まえて、実情に合わせ細く長く心を込めて支え合うこととしました。
 まず、被災地の組織継続のために5年間は会費や研修会への参加費は免除としたほか、この経験に基づき災害時には臨機応変に即応できるように支援対策本部を設置、規定に盛り込み災害時の対応に備えることとしました。
 被災地の人々の願いに応えて「被災者生活支援制度の拡充」を求める署名活動を展開、56万2551筆余りの声を携えて国会へ陳情に行ったのもその一つです。
 全国の皆様から寄せられた温かいご支援は、組織の持つ力を私たちに身をもって教えていただくこととなり、ご逝去された多数の会員を抱えた被災地の婦人団体もおかげさまで組織を継続し現在に至っております。
 震災以来、岩手県としても、東日本大津波復興委員会を立ち上げ、これまで知事はじめ各界の代表メンバーで討議を重ね、この度「復興の取り組みと教訓を踏まえた提言集(仮称)」を発行する運びとなっています。
 一方、台風19号豪雨で再び甚大な被害を受けた三陸鉄道が3月20日、全線(163キロ)再開。また、青森県八戸市から宮城県仙台市までの復興道路も来年3月までに全線が通れるようになるなど、「人と人、地域と地域を結び被災地を元気にしてくれる」ことと喜んでいます。
 東京オリンピック・パラリンピックは、コロナ感染症のため開催が延期になりましたが、今は東日本大震災大津波を風化させないためにも東京五輪の聖火が「復興の火」として、この三陸沿線をリレーする日を心待ちにしているところです。


9年を振り返って
宮城県名取市地域婦人団体連絡協議会
閖上(ゆりあげ)婦人会 会長 江口 清子

被災直後の様子 復興後 公営住宅の家並

 七夕まつりで有名な仙台市から、電車に乗って12分程のところに私の住む名取市があります。
 西には奥羽山脈が連なり、その奥に蔵王連峰、さらには雄大な太平洋がどこまでも広く続く風光明媚なところです。また、近くには仙台国際空港があり、我が市では唯一の半農半漁の集落です。
 突然、あの日、2011年3月11日午後2時46分東日本大震災の発生です。
 東北の大地を揺らし、大津波が沿岸部の集落を一瞬で飲み込んでしまったのです。気象庁の発表では、津波の高さは8・3メートルとのことですがもっと大きく感じられました。
 公民館や中学校に避難する人々、そして2キロメートルほど内陸にある3階建ての小学校にと…しかし、 そこまで避難できなかった人たちも多かったようです。
 雪の降る寒い夜、真っ暗な中に不気味な音をたてて水が流れる音、物と物がぶつかり合う音。流される屋根の上から助けを求める人の声、そちらこちらで火災の発生等…書き尽くすことはできません。長いながい一夜が過ぎ、いつものように朝日は昇りましたが、その時の光景は書き表すことができません。
 私たち婦人会でも250名位の会員がおりましたが、26名の方が亡くなられました。また、家屋の全・半壊が160件と被害の大きさに驚きました。
 市内には7婦人団体がありますが、津波の被害を受けたのは私の地区だけです。昨日まで、あそこに誰さんの家があって、誰だれさんが居て、と言っても今は何もありません、誰もいません。どこに居るかも分かりません。同じ悩みを心から話し合える仲間がなく、そのことは今も残念で、寂しい思いをしました。
 「あれからもう9年になるんですネ」と、長いように皆さんは話されますが、私たちにとっては“まだ”9年しか経っていないのです。
 ハード面の復興は見られますが、ソフト面はまだまだこれからです。震災前のような素晴らしい町になりますことに思いを馳せ、そして願うばかりです。
 最後になってしまいましたが、全国の皆様、そして全地婦連の会員の皆様方から大変心温まるご支援をいただきましたことに、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

現状はまだ厳しいが明るい笑顔に希望
福島県婦人団体連合会 会長 小林 清美

二本松城跡で花見散策 フラダンスの習得。ようやく披露できるまでに
=2018年12月17日、富岡町の皆さんと忘年会で

 ジムで汗を流している時、「地震です!地震です!」
 暗雲が立ち込め、奇妙な風が吹き、地面は波打ち、雪が舞う中、仲間と抱き合いながら駐車場で悪夢のような時間が過ぎました。
 “あれは何だったのでしょうか”
 9年目を迎え、犠牲者を悼み、復興を祈念すべき復興祭が、新型コロナウイルスの影響で規模が縮小され、県知事を代表として5人で行われました。
 福島県は今なお震災と原発事故の風評に苦しんでいますが、復興に向け着実に歩み続けています。現在も4万人を超える人が避難生活を送っています。帰りたくても帰れない故郷、心の内はわかりません。
 故郷を離れて不便で不安な生活を送るなか、福島県が女性専用スペースを立ち上げました。着替える場所がなく、男性の目も気になるなどの不安を少しでもなくすよう、郡山市3女性団体が交代で担当しました。@避難所で生活する女性たちの安全・安心確保 A避難所の女性と地元女性たちとの交流を目的としました。
 また、3500人が生活する避難所で、当会員が週2回、朝の9時から夜9時まで、スペース当番などを3交代で5か月間頑張ってくれました。
 「畳の上で温かいご飯が食べたい」「包丁を持つ感覚を忘れてしまいそう」という声を聞き、アンケートをとり、献立をつくり料理教室を開いたこと、避難している婦人会と単位婦人会が楽しくおしゃべりしたり、特技披露、ゲームに花見、そして忘年会など定期的に交流を続けています。このような助け合いによって近くの婦人会員にもなってもらっています。
 避難者の方が退所の時に話されていました。「苦しかった毎日なのに振り返ると懐かしく思えるから不思議」、「段ボールの上で眠る生活」、「ボランティアや避難者同士のつながりが支えになった。しかし、避難所がなくなってもまだ原発事故の避難者がいることを忘れないでほしい」と。
 9年たっても現状はまだまだ厳しいですが、皆さんの明るい笑顔に希望を感じています。

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