506号(18年10月)

西日本豪雨災害・被災地からの報告(島根県・岡山県・広島県・愛媛県)

 今年は6月28日以降、梅雨前線が日本付近に停滞し、29日には台風7号が発生、西日本を中心に甚大な被害を受けました。全地婦連では会員に呼びかけ、西日本豪雨災害で被災された会員団体や会員の皆さまに対する募金活動を7月より実施いたしました。その結果、10月9日現在32団体から1413万3453円が寄せられました。
 被害の大きかった、広島、岡山、島根、愛媛の4県の地婦連へ一律200万円を、被災した地婦連会員への支援、被災者支援活動を実施した婦人会への支援をひとまずお届けし、10月4日の全国大会では、その目録を各会長へお渡ししました。 
 また、9月6日未明に発生した北海道胆振東部地震のお見舞いとして、全地婦連より同じく200万円を北海道女連にもお届けすることにし、目録をお渡ししました。
 西日本豪雨災害の4県から、被災の状況についてご報告をいただきました。

【島根県】西日本豪雨災害を受けて

島根県江津市連合婦人会川越地域
副会長 山藤 照恵

浸水した江津市川越体育館

 7月6日の夕方、広島に住む兄から、三次市全域に避難勧告が出たから注意するようにとの知らせが入りました。無線から流れるダムの放流量に耳をとがらせながら夕食を早めに済ませ、残ったご飯でおむすびを作り、避難準備に取りかかりました。大事なものを少しでも2階へと運びましたが、家具や電化製品などの移動はできず、その上、気ばかりが焦って何もできない自分の不甲斐なさを思い知らされました。
 ダムからの水量は6000トンから7000トンと一気に増水していました。日付の変わる頃、避難するため様子を見に外へ出ると、轟音とともに水が道路の側溝を伝い流れ込んできたのです。もう必死でした。水に追われるような状況の中で、主人とやっとの思いで切り抜け、少し離れた息子の家に避難することができました。水害に遭うのは今回で4度目ですが、水の出がたいへん早く、こんなに怖い思いをしたのは初めてです。
 30年間は大きな水害もなく、この間、いろいろと治水対策が取られてきましたが、私の住む地域は江の川の下流にあり、堤防が未完成だったため、入水地帯になりました。
 水の引いた後の現状は言葉にもならず、床上2メートル近い浸水にはあ然としました。仏壇は泥水をかぶり、畳は折り重なり、冷蔵庫や食器棚は倒れ、どこから手を付けようかというようなありさまでした。
 30度を超す猛暑の中で、肝心な水が出ないため、食事も家の片付けもままならずつらいことばかりでしたが、大勢の方が駆けつけて励ましてくださいました。家族はもちろん、ボランティアの皆さんやたくさんの方々のご支援をいただき、今日まで頑張ることができました。
 全地婦連、島根県婦連、市婦連の皆さまにはたくさんのお見舞いをいただき、ほんとうにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。

【岡山県】真備町からの報告

岡山県真備地区婦人協議会
会長 松王 資子

時計の8のところまで浸水しました

 自然災害が少ないといわれていた「晴れの国、おかやま」に、7月の豪雨災害は深刻な被害をもたらしました。私の住む真備町は小田川が氾濫し、町の4分の1以上が浸水、水の深さは最大で4・8メートルに及びました。
 幸いにもわが家は浸水を逃れましたが、翌7月7日朝、小学校に避難者がいると聞き、婦人会員たちと公民館でおにぎりとお味噌汁を作りました。避難所で炊き出しができる状況が整うまでの3週間、このような支援は続きました。
 ある日避難所で、「この猛暑の中、菓子パンや揚げ物は喉を通らんのんじゃ」という遠慮がちな高齢者の言葉を聞き、いてもたってもいられなくなり、多くの協力者とともにそうめん600食を提供しました。「こんなにおいしいそうめんは生まれてこの方食べたことがねえ(ない)」と言われ、皆で涙を流しながらそうめんをすすりました。
 現在は、車に乗らない高齢者の買い物支援や、片づけを要する家庭に県外からのボランティアを案内する活動を中心に行っています。
 この災害で婦人会の大切な仲間を亡くしました。80代のご夫婦で、平屋に2人暮らしだったため、情報や逃げ場がなかったのだと思います。なぜあの時に電話をして避難を促さなかったのか、今でも後悔をしています。適切な避難のあり方について、相当な犠牲を払って認識させられました。
 人間は自然に対しては全くの無力ですが、お互いに助け合うことで生きていけると思うのです。核家族化など家庭形態の多様化や地域コミュニティーの変化により、「共に生きる」思いが置きざりになりがちですが、亡くなった方の命を無駄にしないためにも、支援協力態勢を整え、誰ひとり災害で命を落とすことのない社会の構築に婦人会は尽力するべきだと思っています。

【広島県】7月豪雨で被災して

広島県竹原市女性連絡協議会
会長 竹下 純子

竹原市新庄町国道432号線

 竹原市は瀬戸内海に面した風光明美な場所ですが、私の住む西野町は海岸より10キロほど内陸に入った国道2号線と賀茂川に沿った田園地帯です。
 降り続く大雨で川は氾濫寸前、家の前の国道は川のように水が流れていましたが、「うちは大丈夫」と信じて自宅にいました。7月6日午後9時半頃、裏の山が崩れて土砂が流れてきました。幸い家の中は無事でしたが、避難しようにもすでに国道は通れず、避難所に行くことはできませんでした。雨の中、近くのホテルまでなんとか歩いて行き、避難をさせてもらいました。不安な一晩が過ぎ、次の日に見た光景は、家も道路も川も崩れた悲惨なものでした。
 2日目に家に帰りましたが、敷地内はすべて土砂に覆われ、何から手をつければいいのか途方にくれました。竹原市内では4人が犠牲になられ、うち2人は地域の会員さんのご家族でした。
 家の前の国道は土砂に埋まり、3日間車は停まったままでした。こんな時こそ、日頃訓練している炊き出しをすればよかったのでしょうが、自分の家のことで精いっぱいでお世話をする心の余裕はありませんでした。被災されなかった会員さんが車の人におむすびを配ったと後で聞いて、頭が下がりました。
 その後ボランティアが来てくれて、お盆前になんとか土砂は撤去できました。1カ月近く断水が続きましたが、水が出たときはうれしくて涙が出そうでした。
 崩れたままの道路や撤去されていない石や木など復旧には先が見えません。絶対に安全な場所などないということ、人の力に感謝したこと、水の恐ろしさと大切さを、この災害であらためて学びました。

【愛媛県】相次いだ川の氾濫

愛媛県連合婦人会事務局

松山観光港近くの高浜トンネル

 7月7日、前日から愛媛県内では、今までに体験したことのないような大雨に見舞われていました。比較的災害が少ないといわれる松山市でも相次いで土砂崩れが発生し、南予地方、特に大洲市や西予市ではダムの放流等で川が氾濫し、甚大な被害が出ました。
 大洲市ではこの日、朝から各地で避難指示が出され、街中にも流れる肱川の勢いはすごく、あっという間に水が堤防を越えてきました。消防隊や地域住民がゴムボートや自前の舟を出して逃げ遅れた人たちを救助し、市内では多くの会員や住民が避難しました。
 大洲市連の上野マリヱ会長は、この時も、水が引いた後も地獄だったといいます。住み慣れた家の無残な姿、断水の中での片付けや泥掃除、見通しのたたない虚しさに笑顔も消え・・・、そこには会員の姿もあり、胸が張り裂けそうでいてもたってもいられなかったと。
 大洲市連は会長や会員が中心となって避難所で炊き出しを行い、おにぎりを作って配るなど、少しでも被災者の役に立てるよう、地域のみんなが少しでも元気が出るようにと活動しました。
 西予市では土砂災害の発生や野村ダム放流による宇和川の氾濫で、未曽有の被害がでました。建物は屋根まで浸水し、想像を絶する光景が広がっていました。
 何から手をつけていいのか分からない中で、県連婦から支援物資等が届き、西予市連の久保田ナリ子会長はすぐに会員と手分けして、被災者に届けに行きました。被災会員と抱き合って泣いて泣いて「今日より明日、明後日と、歩みは遅くとも共に前を向いて歩いていこう」と励まし合っている中で、「復活したら、今後も婦人会活動を頑張ります!」は、とてもうれしい言葉でした。
 後日、西予市連からは「??心の復興を第一に頑張っていきたい」との葉書が届きました。
 元の街に戻るまで、長く時間がかかるかもしれませんが、会員同士が支え合い、励まし合い、絆を深め、愛媛県内で「愛顔(えがお)」が溢れるように助け合いながら「これこそ婦人会!」といわれる活動をしていきたいと感じています。

→地域社会