494号(17年10月)

第48回 北方領土復帰促進 婦人・青年交流集会

 9月17日に根室市総合文化会館で第48回北方領土復帰促進婦人・青年交流集会が開催され、全地婦連50人、日本青年団協議会からは20人が集いました。北方領土が旧ソ連に不法占拠されてから72年がたちました。
無念の思いで島を離れた1万7000人余の元島民の生存者は約6100人となり、その時間の長さをあらためて実感するところです。この日は晴れ渡り、国後島の爺爺岳(ちゃちゃだけ)が海の向こうに近く見えました。

 今年の婦人青年交流集会は、中田和子全地婦連副会長の司会で進められました。前日の全地婦連と青年団の懇親会で集められた祈りの火の募金を、来賓の長谷川俊輔根室市長へ手渡しました。

基調講演
兵頭慎治さん

 基調講演は、防衛省防衛研究所地域研究部長・青山学院大学大学院国際政治経済学研究科兼任講師の兵頭慎治さんによる「日露関係の現状と北方領土問題の展望」。兵頭先生は、現在、内閣官房の国家安全保障局の顧問もされています。以下は講演要旨です。
 2013年4月の安倍首相のロシア公式訪問で日露関係正常化の動きは加速。「平和条約のない状況は異常であり、相互に受け入れ可能な解決策を検討」することを日露共同声明に盛り込みました。そして、日露外務・防衛閣僚会議も開催され、実務的な動きも進んでいましたが、14年2月におきたウクライナ危機により、日露関係は停滞し、欧米とともに日本も対露制裁を実施しました。
 それ以前、13年12月に定められた「国家安全保障戦略」には、「東アジア地域の安全保障環境が一層厳しさを増すなか、安全保障およびエネルギー分野をはじめあらゆる分野でロシアとの協力を進め、日露関係を全体として高めていくことは、わが国の安全保障を確保する上で極めて重要である。」と書かれています。
この戦略は、ウクライナ危機以降も見直しが検討されたことはありません。アジアの安全保障という観点から、日露の関係強化は求められてきたわけです。
 2014年に予定されていたプーチン大統領の訪日は、2年後の2016年に実現、その後両国は、ウクライナ危機以前の状態に戻りつつあるところです。
 ウクライナ危機以降、日本も含む欧米の制裁が続くなかで、ロシアは中国とより密接な関係を築いてきました。今や、両国の関係の鍵を握るのは中国という状況になっています。
 中国への依存度が増すなか、そのことへの危機感をロシアが感じているのは事実でしょう。経済的には、中国が圧倒的に上の立場であり、GDPでみると中国が4倍以上という状況です。このままいくとロシアは中国の軍門に降る可能性さえ指摘されています。だからこそ日本との友好関係を重視する状況となっているのでしょう。
 ロシアは来年の大統領選挙を控え、日本に歩み寄る姿勢は見せられず、対外的に強硬姿勢を見せるのがお約束になっています。しかし、プーチンが再選された後、来年3月、ロシアの対外強硬路線は弱まるでしょう。
 現在、安倍首相は、通訳のみを同席させる1対1のテタテ対談を繰り返しています。北方領土問題はロシアにとっての最後の領土問題です。ロシアの交渉はこれまでも水面下の秘密交渉で、表に出ることをとても嫌います。情報を外に出さないまま、外交交渉が繰り広げられるので、ロシアは北方領土問題に対する日本国民の世論が強いか弱いかよく見ています。
 今こそ、交渉の裏から支えていく返還を求める国民的運動が必要です。それぞれの地元でも関心を喚起し、運動を高めていくべき時です。

四島交流事業の報告

三苫紀美子
常任理事

 続いて、7月に四島交流事業に参加した全地婦連の三苫紀美子常任理事(佐賀県会長)が交流の様子を次のように報告しました。
 以前の訪問時と比べて、国後島の道路がきれいに整備されていました。地区行政区議会の訪問は、お土産交換に終わった感があり、国民としてはもう少し率直にお話できるといいなと思いました。戦後70年以上がたち、ロシアの皆さんにとってもふるさととなっている地の返還にあたっては、互いに故郷として共有できるようになればよいと思っています。
 前回の訪問時にプレゼントした打掛けが博物館に飾られていたのには感激しました。着せ方が左前になっていたので、団長と二人で着せ替えてきました。日本人墓地のお墓参りは滞在時間が短く、とても残念でした。
 剣劇の披露も好評でしたし、私が持参したお茶も喜んでもらいました。今回の交流をとおして見たこと聞いたこと、感じたことを多くの皆さんに伝えていきたいと思っています。

元島民のお話

 昼食をはさんで、元島民お二人の貴重なお話を聴きました。

択捉島出身 鈴木咲子さん

 択捉島は、漁量も多く、東北地方からの出稼ぎも多く受け入れていました。とても平和な島でした。
 しかし、第2次世界大戦が起こり、私の兄も召集されました。1945年、戦争が終わった8月28日、突然、ソ連の軍艦が港に入ってきました。
 不法な占拠は続き、3年間、ソ連人と共に過ごしました。さまざまなものを奪われましたし、食料にも困りました。その後真岡に送られ、生き地獄のような時を過ごし、日本に戻りました。
 平成2年に北方墓参で択捉島へ行きましたが、私の家のあった蘂取村は人の住めない島に変わり果てていて、言葉も涙も出ませんでした。
 四島交流のロシア人との交流、ホームビジットの際に、「この島に住んでいた日本人は今住んでいるロシア人を憎んでいませんか?」と尋ねられました。そこで、「先祖の墓を壊されたことはとても悔しい」と話したところ、その方も涙を流してくれました。それで、私の中の敵対心が消えました。
 島を追われたときに10歳だった私ももうすぐ80歳になります。憎しみだけでおしまいにしたくないと思っています。つらい目にあったことは忘れません。でも平和を求めるために、努力していきたいと強く思っています。

歯舞群島・多楽島出身 河田隆志さん

 北方領土には島はいくつあると思いますか?四島と書くけれど、歯舞群島にだけでも5島あります。つまり、8島あるのです。
 毎年12月1日、北方領土の返還を求めて皆で東京の日比谷から銀座まで行進します。そのとき、われわれの運動が理解してもらえていないと感じます。北方四島の元島民のための運動だと勘違いされていると思います。日本の島を返せという運
動なのです。私たちは、多楽島から引き揚げたのではなく、緊急避難しただけなのです。ソ連軍につかまれば子どもは売られてしまうという恐ろしい噂が流れ、家財や仕事の道具もすべて置いて逃げました。
 島へやってきたソ連軍は、家の中からすべてのものを持ち去り、その上、家をこわして薪にされました。お寺には186柱の骨箱が安置されていましたが、白い布を取って箱は燃料にされ、お骨は捨てられたと島に残った家族に聞かされました。
 多楽島への墓参りの機会はとても少ないのです。その上、ある時は、書類に「歯舞多楽島」と記載されているのがだめだと、上陸を拒否されたこともありました。今は千島連盟支部を通して、墓地の整備と墓地までの道路の整備を求めているところです。

講評と私たちの決意

 全地婦連の柿沼トミ子会長は、次代へとつなぐ青年団と経験者の婦人会が意見を交換する交流集会は素晴らしい取り組みであること、兵頭先生のお話の通り、日本とロシアとがただ直接的に交渉すればよいという時代ではなくなっている、その時々のリーダーと国々との力関係が重要であり、国民一体となる世論の形成の重要性を再認識したと講評を行いました。
 最後に、「北方領土問題は外交交渉により解決されるものですが、その交渉を支えるのは私たちの運動と国民世論です。今こそ私たちの熱意と決意を内外に示し、北方四島は日本固有の領土であると世論を喚起することで、外交交渉を支える大きな力となるよう努力いたします」との決意を確認し、散会しました。

関心持って声を上げ啓発活動を

岡山県赤磐市 女性の会会長 坂本文江

グループごとに標語作り
歯舞漁協を見学

 交流集会前日の9月16日に根室半島最東端の納沙布岬へ行き、北方館を見学し、そこで北方領土の歴史的経緯と展示資料で北方領土返還について学びました。
 目の前の青い海に広がる北方の島々の間で、昆布漁のたくさんの赤色筋入りの漁船と、真っ白い海上保安庁の巡視船を望むことができました。「四島のかけ橋」「希望の鐘」「祈りの火」も見学しました。
 9月17日、「日露関係の現状と北方領土問題の展望〜四島(しま)の未来心かよわせ返還へ〜」をテーマに交流集会は開催され、基調講演、ビザなし交流参加者の報告、元島民二人のお話も聴きました。
 その後、8つのグループに分かれ、自己紹介と講演の感想を述べ合い、交流を図りながら北方領土問題に対するキーワードを書き出して考えを深め、北方領土問題対策協会が募集している標語を作りました。グループごとに発表をし、今年の交流集会の成果としました。
 たくさんのキーワードから、北方領土に対する新たな気付きを得ることができたこと、また、故郷を奪われてから72年の歳月が流れても未だに解決しない事実を知ることができました。
 北方領土問題は現在、政府が粘り強く外交交渉を続けています。私たちはもっと関心を持って声を上げていくことが重要で、あらゆる機会を通じて啓発活動に取り組まなければならないと、今回の交流集会に参加して痛感しました。

→北方領土問題