488号(17年4月)

東日本大震災から6年(岩手県・宮城県・福島県)

今も続く支援や交流

 東日本大震災から6年が過ぎました。地震発生直後から困難な中を、いろいろなかたちで支援活動を行ってきた婦人会ですが、岩手、宮城、福島の3県から、今も続いている支援や交流の様子を寄せていただきました。

おひるごはんとお茶っこの会
岩手町婦人団体連絡協議会会長
(岩手県副会長)大坊邦子

ハーモニカの伴奏で歌いました
 「あなたたちのことを一生忘れません」。これは仮設団地の廃止が決まり、この交流会も最後かと思った帰り際、毎年参加していた男性の一言。今でも耳に残っていて、続けてきてよかったと思った瞬間でした。
 私の所属する岩手町婦人団体連絡協議会では、被災地支援として震災の年から5年間、岩手県山田町の仮設団地で昼食交流会を行ってきました。
 震災直後の4月、町の炊き出し隊に参加して状況を目の当たりにし、自分たちも被災者の皆さんを元気づけたいという思いがきっかけでした。
 冬物衣料や町特産の野菜など、バスいっぱいのお土産を積み込んで現地へ。会員が材料を持ち寄り、分担して準備した手作り弁当。皆さんと一緒に食べながら、話を聞いたり歌や踊りを通して、楽しいひとときを過ごしました。
 そんな皆さんの笑顔が忘れられず、次の年も同じ会場へ足を運び、それが3回、4回と毎年続き、お別れには、「有楽町で逢いましょう」の替え歌「山田の町で逢いましょう」を全員で合唱するのが恒例になりました。
 震災から6年が過ぎましたが、復興はまだまだ道半ばです。これからも、被災地の皆さんに心を寄せ続けていきたいと思います。

ようやく前を向いて歩き始めた気仙沼
気仙沼市婦人会連絡協議会会長
(宮城県副会長)鈴木玲子

お茶会で交流
 春隣を感じさせられた2月のある日、大崎市田尻婦人会の舞嶽智子会長宅で茶会を開催していただき、気仙沼市婦連の会員31人が参加しました。
 はじめに田尻町大貫公民館館長の素晴らしい尺八演奏で大歓迎を受け、お餅振舞いをいただきました。その後、舞嶽会長宅へ移動。長年茶道を嗜まれた会長のお手前をいただき、お作法や茶道の歴史もうかがいました。
 田尻婦人会の皆さんには、震災直後から数々のご支援をいただいてきました。舞嶽会長のご自宅の菜の花の種が袋に詰められ、「気仙沼を元気に」と毎年届きます。被災した国道沿いや、お借りした被災した土地へ「菜の花プロジェクト」として、気仙沼市婦連の会員総出で種まきをしましたが、残念ながら塩害の影響で十分には開花しませんでした。しかし会員の敷地では、見事な黄色の花が春を彩っています。
 こうした多くの皆さんのご支援で、気仙沼はようやく前を向いて歩き始めました。これからも絆を大切に頑張ってまいります。

避難の日から絆は強く、今も
郡山市婦人団体協議会会長
(福島県会長)小林清美

温泉で忘年会
 私たち郡山市婦人団体協議会は、震災直後の2011年5月から8月までビッグパレットふくしまで避難所生活を送る女性たちが安心して過ごせる「女性専用スペース」の運営に関わり、避難している女性とさまざまな形で寄り添いました。
 その後は男性たちとも交流しながら、役員を含む40人前後で年2回送迎バスを利用し、春は桜の名所めぐり、冬は各所の見学後、温泉で忘年会。狭い仮設住宅の小さい湯船ではゆっくりできないだろうと、せめて温泉でのびのびとゆっくり暖まってほしいとの思いから、会食、ゲーム、歌や踊り、情報交換などで一日ゆっくり楽しんでもらいます。
 また、各単位婦人会の事業にも参加もしてもらっています。
 狭い仮設住宅では油だらけになってしまい思い通りにできない、思いっきり天ぷらが食べたいという声に天ぷらパーティーを開催すると、男性も張り切って、エビ、ナス、カボチャ、かき揚げなど、上手に揚がった天ぷらをお腹いっぱい食べ、夕食分もお土産に、大喜びで帰途につきました。
 予定通りに編み終えたいと、編み物講習も催促され、うれしい限りです。これまでもこれからも、郡山市に居住する人たちと密に連絡を取りながら、絆を強く、活動を続けていきます。

→地域社会