481号(16年9月)

北方四島交流訪問事業 国後島と色丹島を訪問

 北方領土問題対策協会の今年度第1回目の一般訪問事業(都道府県民会議主体)が、7月21日から25日の日程で実施され、全国の返還要求運動関係者が国後島と色丹島を訪問しました。全地婦連から参加した3人の報告です。

出逢いこそ一期一会の宝
長崎県会長 西山 智子

根室港の出発式

 今年度第1回の北方四島訪問事業に、長崎県民会議の副会長として参加し、国後島・色丹島を訪問しました。
 北の海は穏やかに見えましたが、根室港から3時間、えとぴりか号に乗船し、うねりの中、古釜布湾に着きました。海水は濁り、臭いという環境の悪さ、日本の港のような風情はありません。
 北方領土にさまざまな考えを持った団員60人は上陸し「友好の家」へ向かいました。
 言葉を交わし絆を深め、現地の学校、教会、図書館などを視察。教会では命の大切さ、交流の成功、平和への願いを込め、全島に響き渡る鐘を奏でることができました。
 色丹島は戦前「東禅の箱庭」と呼ばれ、優しい気持ちにさせられる島でしたが、日本漁船がだ捕され、収容された建物が点々と残っており、複雑な気持ちでした。
 元島民の語った思い「待つ人が一人でも多いうちに、ロシアの固い扉を聞いてほしい」また、事前研修の、「この四島が還ってきたときに、この島をどのようにしたいのか真剣に考え、話を進めてほしい」の言葉が心に残りました。
 短い期間とはいえ、北方領土訪問団員として参加し、皆さんと活動できたことを感謝します。スパシーバ(ありがとう)。

「家族の価値観」を聞く
宮崎県理事 上原 裕子

色丹島を背にして

 北方四島交流事業に、緊張感いっぱいで参加しました。「交流」を第一に、友好船えとぴりか号で出港しました。国後島の友好の家は快適な宿泊施設です。行く先々で大歓迎されました。
 国後の小学校の修学旅行は、日本に行かれる様子です。消防署員も、東日本大震災時には、真っ先に駆けつけてくれました。図書館にも日本の本が多く並び、友好の象徴である発電所も見学できました。
 大分県の団員がスポーツ交流として、柔道とヨーヨーを子どもたちに指導し、拍手喝采です。
 住民交流では「家族の価値観」と題して、いろいろな年齢層の人から、生の声を聞くことができました。結婚して子どもの大切さを知ったこと、夫の両親と伸よくするため、誕生日に必ずケーキを持参する。国後島は好き?と聞くと、もう少し天気がよければ、生活面は楽、両親のいる場所が故郷です、と答えた人もいました。
 「終戦直後、突然ソ連軍が占領して島を追われ、抑留され、血と汗の連続で耐えて生きてきた。父母兄弟の眠る墓参も簡単にはできない」という元島民の得能宏さんの82歳とは思えない元気な声と表情に救われました。
 風光明媚な島々を自由に行き来できるよう「愚公移山」です。必ず実現しますように。

大切な民間レベルの交流
広島県理事 福本アヤ子

色丹島で得能家の墓参

 結団式での「外交交渉は国の仕事であり、われわれは交流団である」との言葉に気持ちを楽に、えとぴりか号に乗船しました。
 しかし、古釜布湾沖で投錨中の船への入域手続きで、ロシア人が乗り込む情景を目の当たりにした際、「絶対にカメラを向けないように」と注意される場面や、「面通し」では異様な雰囲気を感じ、とても緊張しました。
 曇天の国後島は、現在の日本とロシアの関係のようで、建築物からは日本の面影はまったく感じられません。色丹島の広い大地のあちこちに、さびた廃船や廃車が放置され、日本では考えられない光景でした。小中高等学校、図書館、消防署などの見学先では、国が資金面でバックアップしていることを強調されたのが印象的でした。

 一番の交流はホームビジットで、手作りの料理とプレゼントを準備して待っていてくれました。私は広島の名産品や、手作りの帽子、ハンカチ、女性会の廃油石けんなどを贈りました。言葉はじなくても、ジェスチャーで思いが伝わった気がしました。こうして民間レベルで友好を深めることで、政府間の交渉もスムーズにいくのではないかと思いました。
 色丹島の墓地は小高い丘にあり、野菊が風にゆれ、元島民の得能さんが、「これが祖先の墓だ」と抱えるようにして、線香を手向ける姿に一層哀しみが増しました。「自由に墓参りをしたい」という得能さんの言葉が耳に残っています。そのためにも、私たちは啓発活動の輪を広げ、一日も早く平和的に返還されることを願っています。