443号(13年7月)

地域活動ニュース(福岡)


鉄骨だけが残った南三陸町の防災対策庁舎。献花し、犠牲者のめい福を祈る=6月5日、南三陸町
 東日本大震災から2年と3か月経過しましたが、被災地の復興は思うように進まず、今なお多くの方々が仮設住宅での暮らしをされ、あるいは、故郷に帰れずに遠く離れた避難生活を送っていらっしゃいます。
 昨年の九州北部豪雨や、過去の西方沖地震に見られるように、福岡県においても、いつ災害が起きてもおかしくない状況にあります。
 福岡県婦人会も非常災害に対する危機対応、災害時・災害後において、婦人会が果たす役割・対応等について、「災害時における婦人会活動に関する研修」を行う必要があると考え、6月5日から7日までの3日間、総勢23人で、東日本大震災被災地を訪問させていただき、研修を実施しました。
 1日目、仙台空港に到着すると、岩手県女性防火クラブ千葉とき子会長さんはじめ、地元有志の方々にわざわざ出迎えていただきました。
 仙台空港も3・1メートルの津波が押し寄せた写真を見学後、バスで南三陸町に向かう車内で当時の状況を聞き、すれ違う車の多くはがれき処理のためか他県ナンバーの大型ダンプ、そして車窓の光景は住宅・商店が建ち並び、人や車が行き交っていたであろう町は、どこにいったのでしょうか。がれきが1カ所に集められ、一面土台と雑草の台地と化した状況は、何とも言いようのない思いでした。
 津波で町が消えてなくなっている南三陸町。そして人々が安全と思って避難した防災センターは鉄骨だけが残り、津波のすごさを物語っています。住民に最後まで「津波が来ます、高台に避難してください」と言い続けた防災センターの女性職員の方は、いまだに不明のまま、胸がしめつけられる思いで献花させていただきました。
 2日目は、気仙沼市本吉町にある仙翁寺。ここのお寺は、町の避難場所として指定されていませんが、2カ月の赤ちゃんから91歳のおじいさんまで約350人が3カ月間避難生活された所であり、住職や自治会長の皆さんに当時の避難生活等の話を聞くことができました。
 また同地区にある仮設住宅を訪問させていただき、入居されている方々のお話もうかがうことができました。
 ここの仮設住宅は、小学校と隣接する中学校の校庭に、6軒長屋で31棟が建てられ、今は156世帯470人が生活されています。
 「私たちがここにいることで、子どもたちが校庭で遊ぶこともできない、しかし今は、どこにも行くところがありません」と語っておられた自治会長。昼からは、「復興の丘」に献花させていただき、また視察研修記念樹木(桜の苗木)を贈呈いたしました。
 その後、陸前高田市に移動途中、鹿折地区には巨大津波で港から約700メートル離れた陸上に打ち上げられた大型漁船(第18共徳丸)を視察、そして被災地の皆さんに希望を与えた一本松を見学することができました。夜は、地域婦人防火クラブ会長・気仙沼市消防副団長の皆さんとの意見交換研修会を実施していただき、家族・知人等を亡くされた状況の中で貴重な体験談を話して頂き、胸がつまる思いでした。

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