441号(13年5月)

活動の優先課題は被災者支援

岩手県陸前高田市

 4月13日、陸前高田市の被災地を訪問しました。同行は岩手県連の及川会長に柳橋、瀬川、野田副会長、そして今回の訪問を企画し、案内役の陸前高田市の佐々木会長です。

被災者から話を聞く

 盛岡から高速道経由で、向かったのは遠野市小友町。さらに陸前高田市横田町に向かい、まず横田小学校仮設住宅を訪問し、被災者の話をうかがいました。
 ここの仮設住宅は50戸で、広さは入居する人数に応じて決まり、テレビ、冷蔵庫、エアコンの3点セット完備です。当初は表玄関も一重であったものが、冬の寒さ対策で二重に変更され、改善されたそうです。とは言え、住宅内部は必要最小限の物を置くにも困るほどの狭さで、何よりも隣に迷惑をかけないよう声を潜め、静かに暮らすことが必須という住まいです。
 建て付けの悪さにはストレスがたまることは容易に想像がつき、「おかげさま」「皆さまから目に見えるもの、見えないものをいっぱいいただいた」と話す被災者の声に、切ない思いで耳を傾けました。
 仮設住宅を後に、移動しながら車窓から被災地を視察して、途中、気仙町の旧道の駅「陸前高田タビック45」地内に設けられた慰霊碑を訪問し、献花しました。さらに車を進める被災地は、2年前のがれきが片づけられただけの状態でした。高台を削り、削った土で造成するために、市内はトラックが走り回り、かろうじて復興へ進みつつあるとの感触もかすかながら感じました。
 米崎町の交流施設「朝日のあたる家」で陸前高田市の会員の皆さんに会って、工夫をこらしたお弁当をいただきながら、復興へ向けた課題などについて聞きました。

▽生活再建はまず家を建てることに尽きるが、土地のかさ上げ、資金、物不足などで、先の見通しがたたない
▽女性会の会員も分散してしまい、組織の維持が困難な情況下であるが、いただいた支援金が役立っている
▽「リーダーは男」の意識が強く、市の復興計画への女性の参画は非常に少なく大きな課題‐‐など。

 最後に佐々木会長の「活動の優先課題は被災者支援であり、女性団体としてできることを続けるために、組織への支援がほしい」の言葉を重く受け止めました。


慰霊碑もうでで献花する柿沼会長

米崎町の「朝日のあたる家」

心づくしのお弁当

横田小学校仮設住宅で

宮城県東松山市

 4月15日、桜が満開の宮城県を訪問し、県連の三浦会長、大友副会長、鈴木事務局長とともに被災地を回りました。
 仙台駅前から海岸へ向かい、国道を通ると、中心市街地は一見すると復興したかのように見えますが、商店や事務所の後ろには、手をつけていない民家の敷地や被災した建物がいまだに残っています。
 岩手県の三陸海岸沿いとは異なり、平地を津波が襲った爪痕が、宮城県の被災地の状況です。
 まず東松島市へ。東名地区はまるで海のよう。以前の景観を知らない者には、住宅地があったとは思えない地盤沈下の様相を呈しています。同じような景色が続き、津波の怖さをあらためて感じました。
 東松島市内で被災された3人の方から、被災の生々しい体験を聞きました。想像を絶する困難な状況から、生き延びたことを重く受け止め、助かった命を大切にしていきたいと、2年が過ぎた今、あらためて語ってくれました。
 市内大曲浜に建立ざれた白衣観音にお参りしました。犠牲者310人の法名が刻まれています。この観音様の高さが津波の高さだと説明を受けた時、この平野一面が津波で覆われたことをあらためて思い、自然の脅威を見せつけられました。
 さらに車を石巻、女川へと進め、女川町立病院のある高台から女川湾を見つめた時、この高台の病院の2階まで、津波が襲ったと説明を受けました。その津波ですべてを失った会員の阿部さんが再起を誓い、仮設店舗で営業を始めており、立ち寄りました。笑顔で頑張っていらっしゃる姿に感銘を受けました。

大川小学校の慰霊碑にお参り

 次にタイヤの太鼓で復興に向けて力強く発信している雄勝中学校のある雄勝町、ここも雄勝湾を津波が襲い、沿岸はすべてなくなったところを通り、多くの幼い犠牲者を出した大川小学校の慰霊碑にお参りました。周囲を眺めながら、「救える命ではなかったのか」と、考えさせられました。
 「1000年に1度の大震災」と言われていますが、その場面に遭遇した私たちは、この事実を後世に伝えること、そして何よりも、復興に向けて歩み出した被災者の後押しができるような支援が必要ではないかと強く感じています。


大曲浜の白衣観音

阿部さんは仮設店舗で営業中

74人の学童が死亡・行方不明
となった大川小学校

時間も止まったままのJR仙石線野蒜駅

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